猫にゃーの雑記帳~我そこにとどまるな~

家族関係や心理学を学びながら、うつの経験もこっそり生かしています。30代後半1児の母、眼科医師。

さあ、引っ越しの準備が始まりました。

来月初めに引っ越しをします。

あと1週間で準備をしなくてはいけません。

 

引っ越しの準備につきものなのが、

「ものとの付き合い方を決める」

ということですね。

 

手元のこのモノを持っていくのか

それとも

手放すのか。

これは、手元にあると幸せなのか、それとも不用品なのか。

 

物とのかかわり方を決めるのは、

自分の人生の優先順位を決めることだと思っています。

洋服を1つ手にとってみて

この服着る?あまり着ないのはどうして?

似合わない(と思っている)からなのか、

誰か嫌な人との思い出があるのか

それとも、他の服とのバランスが悪いのか

それとも、着心地が悪いのか。

 

例えば、パーソナルカラー的にはこの服は自分に合っていたとしても、

その服を着るとどうしても不快なあの人を思い出す。

この服はとても暖かいのに、ちょっとサイズ感が合わない。

 

そんな風に少しずつポイントがあるものなので、

我慢して何かに合わせるというよりは

五感を研ぎ澄ませて自分にとって何が心地よくて

何を求めている人なのか

そして、そこから社会に何を与えられる人なのか

考える良いきっかけになるなあ、と思っております。

 

 

 

面白がるくらいでちょうどいい。

自分と意見が違う人。

見ていてイラついてしまうこともある。

 

そんな時は敢えて、笑ってみる。

 

「笑いものにする」という意味ではなくて、

ストレスに感じるくらいであれば

違いを楽しんでしまったほうが良いということ。

 

日常で不快な気分になりやすい人は、

不快に思う気持ちをコントロールしてみると良いのかも。

それって、不快に思わないといけないことなのか?と、

ワンテンポ置いて俯瞰してみる。

 

すると、

他の考え方も見えてくるかも知れないのです。

 

 

カウンセラーさん3名含む6名でのお食事会をしました②

先月のお食事会のことです。

(①を書いたまま、またまた時間が経ってしまいました。)

 

この日は、それぞれが家庭生活での疑問や悩みを話してみよう、という取り組みがありました。

私は、自分の家庭のことや育った環境のことを人に打ち明けるのが苦手です。

慣れ親しんだカウンセラーにすら、本当に内に秘めたことは話せないtypeです。

話してしまったら、何かが壊れるのではないかと思うのでしょうね。

 

なので、私は一番最後に質問をしました。

 

それまでに他の方たちが色々お話されていて、

驚くほど丁寧に自分の気持ちや出来事を言語化されていました。

それを聴いているうちに、

自分もこうした内側のことを話しても良いものなのではないかと思うようになりました。

最後にしてくれて、有難うございます。

 

 

私は、子育てに苦手意識があります。

 

子供が赤ちゃんの時に泣き叫ぶと、

実母の声で虐待を促すような幻聴が聞こえていました。

その声に逆らい、否定し、打ち勝ち。

その幻聴が、トラウマのようになりました。

 

私が小さい頃に何があったのかは、分かりません。

覚えていません。

でも、魂に何かが刷り込まれていたのかも知れません。

 

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だから私は、子供の気持ちを尊重することと、

頭ごなしに物を言わないようにすることに尽力していました。

けれども、

子供の就学を前にして、

本当はちゃんと「躾」をすべきではなかったのか

厳しく育てる必要があるのではないか。

そういう不安が出てきて、分からなくなっていました。

 

そのことを話すと、

みんなが、それは違うと否定してくれました。

 

私は、ステレオタイプないいお母さんにはきっとなれないけれども、

ただ笑って元気に過ごすお母さんにならなれると思います。

働いていてごめんなさいっていつも思ってしまうけれども、

自分の世界を持って笑顔で元気、なら何とかなるかも知れないです。

 

 

そしてこのお食事会がさらなるきっかけとなって、

モラハラやDVの啓蒙をまたやってみようかと思うようになりました。

そして、最近思うんです。

こうした勉強って、

結婚前の、特に男性にこそしていただきたい、と。

家庭生活の問題って、女性の方がどうしても関心が高くて、

さらに結婚後に関心が高くなるものだと思うのですが、

結婚前こそ学んで欲しいと。

一生を共にしたい人が現れた時に、自分を振り返ってみて

ハラスメントの芽を摘むようにしてほしいなと思うのです。

特に若い男性と話していると、願うような気持ちになることがあります。

 

未来のため、

そして次世代のため。

 

高学歴の人は特に、謙虚に振り返ってみることが大事だと思います。

 

感謝が深くなる日には

不思議な気持ちになる日があります。

深い感謝の気持ちで、心が温かくなるのを超えて

心の奥底をひっくり返すかのような、少し強めの悪くない感情が続く時があります。

 

誰かのGIVEで生きていく時

それが、自分のできるGIVEの範囲を超えていけばいくほど

感謝と尊敬と、ごちゃごちゃにしたような感覚を持つのです。

 

どうかこういう日は、

その不思議な感覚から覚めないまま眠りにつきたい。

そんな感覚と出会えたことに感謝をしながら過ごしていきたい。

 

ありがとう、とか

嬉しいとか、

助かりましたとか

そんな言葉では伝えられないほどの感謝を、

人はどう伝えていくのでしょう。

 

こうした不思議な感覚というのに出会ったのは、

30代になってからでした。

それまでは持ち合わせていなかった気持ちの動きで、

持っていなかったということは、何か足りないものがあったのかも知れません。

いや、何かを捨てたから得られた感覚なのかもしれません。

 

いずれにせよ、ありがたいものです。

幸せというのは、こうして身近にあるものなのですね。

 

カウンセラーさん3名含む6名でのお食事会をしました①

気がつけば半月くらい更新していませんでした。

お久しぶりです、こんにちは。

 

更新していない間に、素敵なお食事会がありました。

選択理論を得意とするカウンセラー3名を含む6名で、

夫婦関係について学ぶというコンセプトです。

 

私が選択理論に出会ったのはおよそ2年前。

精神科医のグラッサー博士が、薬を使わずに患者さんの「欲求」「大事にするもの=上質世界」に重きをおくセラピーを行い、症状を緩和させたという話を聞いて

興味を持ったのです。

選択理論について書き出すとそれはそれでとても長くなってしまいますので、

ざっくりと人それぞれに大事にするものや満たしたいものが違うということ(当たり前なのですが)と、

それに基づいたカウンセリングやパートナーシップについての話だったのだなと

思っていただけたらと思います。

 

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自由の欲求が高そうなネコちゃん

 

今回は友人が誘ってくれて参加がかないました。

なぜ友人が繋いでくれたかというと、私が心理学やパートナーシップについて勉強していたから、なんです。

 

DVとか家庭内暴力とか、ありますね。

多くの人はそれを「私とは無縁」と考えるのですが、

「無縁」と言い切れる人なんてほとんどいないとある時さとりました。

 

多くの人は無縁なのではなくて「気づかない」だけなのです。

 

DV=「夫が妻を殴る」

というステレオタイプのイメージがあると思うのですが、

私は家庭内で互いに尊重しあわずに必要以上に相手を傷つけたり

自信を奪うような発言・行動をし続けること

だと思っています。

そして、この状態というのは、日本の家庭に巣食った病のごとく

あまりに当たり前にみられています。

 

SNSを見ても、自分の子供やパートナーをディスる書き込みも多すぎます。

正直、気分が悪くなるくらいです。

 

この病が顕在化したものがDVだと私は思っていて、

その対極にあるような平等で幸せな家庭づくりということに興味を持つようになりました。

このブログにはあまりそのことを書いてこなかったかもしれません。

というのも、私がそうした家庭の心理的な問題に関心を持つことで、

私の家族が非常に暴力的なのではないかというあらぬ誤解を生むことがあるからです。

 

でも、そうじゃなくて、

あまりに一般的で、これからの子供たちのためには何とかしていかなくてはいけない課題なんだということと

私がそのために学び続けていることについて

もっと恐れずに発信していくべきなんだということに気づかされる会になりました。

 

 

①はこのへんで。

 

勉強できなかったら、道を外していたと思う。

「何のために勉強するの?」

そんなふうに子供に質問されて、困ってしまう方もいらっしゃるかと思います。

 

私はこれに明確な答えを持ってはいないのですが、

ただ自分の経験を振り返ってみて、

「勉強ができたこと」に救われた機会は多かったと思います。

 

中学から高校にかけて、私は自宅での居場所を失ってしまいました。

思春期特有の居心地の悪さ、そして家庭内の雰囲気の悪化。

いろんなことが混ざり合っていました。

当然、深夜まで家に帰りたくはありませんでした。

が、普通であれば、夜街をうろついていたら危ない目に遭いますね。

女の子であれば、性犯罪やら性的ビジネスの温床にもなり、

また薬物やら違う世界の人たちとのつながりやら

色々なものが潜んでいるかと思います。

 

当時、家から遠くにある進学塾に通っていましたから、

普通に帰宅するだけでも22時や23時も当たり前でした。

終電ぎりぎりに帰宅することすらありました。

そのくらい家にいない生活でちょうどよくバランスが取れたのですが、

それを塾でやっていたから問題がなかったわけであって

街でやっていたら大変なことになっていたと思います。

 

「勉強ができなかったら暴走族だったかも」

 

と、今では笑って話していますが、

そのくらい危なかったんだと。

 

 

たとえ勉強ができなくても、

ほとんどの人が道を外すこともなく

しっかり育つんだと思います。

 

幸運にも、自分の属するところで心理的安全性を得ることができたら良いのでしょう。

けれども、

社会のスキマなんて、じつはそこかしこに開いていて

簡単にそのはざまに落っこちるわけです。

 

落っこちずにすむ方法の1つに、

勉強くらいは得意にしておく、という方法があると自分の経験から思っています。

 

それ以外にも危なかった話はあるのですが、

それはまたの機会にでも。

 

 

大変なときこそ。

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写真は本文とは関係ありません

 

ああ、しんどい。

ああ、忙しい。

そういう時こそ、振り返ってみます。

 

会社が悪い、家族が悪い。

そう思う時こそ、立ち止まってみます。

 

慢心があったのではないか。

近頃ちょっと、傲慢ではなかったでしょうか。

 

実際に最近、いつもより忙しいのだけれども

良い経験をさせてもらっています。

 

そういう時こそ、

自分が何を好きでこの仕事をしているのか、見つめられることがある。

 

ああ、結局、好きでやっているんだな。

 

そう思うと、また違う道が見える。