猫にゃーの雑記帳~我そこにとどまるな~

家族関係や心理学を学びながら、うつの経験もこっそり生かしています。30代後半1児の母、眼科医師。

なぜ忙殺されてはいけないか

振り返ってみれば、子供を産んで育休明けて復帰してから5年。

仕事と子育てとで、気づけば時間が経っていました。

 

多くのワーキングマザーがおそらく口をそろえて同じことを言うでしょう。

 

自分がもう1人どころか、もう3人くらいほしい忙しさ。

わき目もふらずに、

日々可能な限りやるべきことを詰め込んで生きてきた。

 

そうすると、ちょっと何か新しいスキルを身につけようとしたり、

仕事の仕方を変えようとしたり、

そこまでいかなくても、自分と向き合おうとしたときに、

まったく

物理的に余裕がなくなってはいないでしょうか。

 

私自身がそうでした。

時間が余ったなら、視野を広げるのではなく、

自分の仕事の本くらいしか読まない。

 

おととしまでは、とんでもなく少ない読書量でした。

 

この、物理的な時間の余裕がないがゆえの視野狭窄

これが、結構恐ろしい。

なぜなら、自分の周りが見えなくなっていくので、

理不尽な状況にあろうと、無力になっていくからです。

 

そうこうしているうちに、

自分の望むものがさっぱり分からなくなっていきます。

 

もし周りで、仕事以外のことに時間を充てようとしている人がいた時。

その人は、視野を広げようとしているかもしれない。

その人なりの人としての活動なので、

イコール「さぼり」だと考えてしまうのは早計ではないでしょうか。

 

 

特に医療業界では、この視点がすっぽり抜けやすい。

そもそも、全身全霊をかけて医療を行いたい人が集まってくるから、

どうしてもそれ以外のことに時間をかけること自体への違和感が強くなりやすいのでしょう。

 

けれども、

私自身は、人と接する仕事だからこそ

もっと視野を広げて俯瞰するような感覚が必要だと思います。

 

そしてそのためには、

日々の生活に少しでも余力が必要。

 

そうはいっても、多くの職場でその余裕すらないくらい労働環境が悪くなっていることは、考えておかなくてはならないでしょう。

年に完全な休みの日を1日も与えられない人もいる業界ですから。

 

そこまでの激しい労働ができる体力や気力を持つ人も尊敬しますが

それができてしまう方も

他の人が余力を作ることの必要性を分かってあげてほしいものだと思っています。