勉強できなかったら、道を外していたと思う。
「何のために勉強するの?」
そんなふうに子供に質問されて、困ってしまう方もいらっしゃるかと思います。
私はこれに明確な答えを持ってはいないのですが、
ただ自分の経験を振り返ってみて、
「勉強ができたこと」に救われた機会は多かったと思います。
中学から高校にかけて、私は自宅での居場所を失ってしまいました。
思春期特有の居心地の悪さ、そして家庭内の雰囲気の悪化。
いろんなことが混ざり合っていました。
当然、深夜まで家に帰りたくはありませんでした。
が、普通であれば、夜街をうろついていたら危ない目に遭いますね。
女の子であれば、性犯罪やら性的ビジネスの温床にもなり、
また薬物やら違う世界の人たちとのつながりやら
色々なものが潜んでいるかと思います。
当時、家から遠くにある進学塾に通っていましたから、
普通に帰宅するだけでも22時や23時も当たり前でした。
終電ぎりぎりに帰宅することすらありました。
そのくらい家にいない生活でちょうどよくバランスが取れたのですが、
それを塾でやっていたから問題がなかったわけであって
街でやっていたら大変なことになっていたと思います。
「勉強ができなかったら暴走族だったかも」
と、今では笑って話していますが、
そのくらい危なかったんだと。
たとえ勉強ができなくても、
ほとんどの人が道を外すこともなく
しっかり育つんだと思います。
幸運にも、自分の属するところで心理的安全性を得ることができたら良いのでしょう。
けれども、
社会のスキマなんて、じつはそこかしこに開いていて
簡単にそのはざまに落っこちるわけです。
落っこちずにすむ方法の1つに、
勉強くらいは得意にしておく、という方法があると自分の経験から思っています。
それ以外にも危なかった話はあるのですが、
それはまたの機会にでも。