猫にゃーの雑記帳~我そこにとどまるな~

家族関係や心理学を学びながら、うつの経験もこっそり生かしています。30代後半1児の母、眼科医師。

抑圧された思いを出してみよう。理想の人間でいようとしなくていい。ちゃんとしていなくていい。

子供の頃から、なぜか生きづらさを抱えていました。

生きているだけで苦しいんだって思うようになったのは10代の頃だったと記憶していました。

 

最近、一体いつから私は子供らしくただ遊んでいたのではなくて

抑圧されたような何等かの思いを抱え始めたのだろうと記憶をたどるようになったのだけど、

古くなればなるほど分からなくなってきます。

 

9歳の頃、とてもしっかりした友人にあこがれました。

身なりも生活もきちんとしていて、ある意味完璧主義だったのだろうけど、

彼女のようになりたいと思っていました。

小学校低学年の時にはすでに、優等生としてのアイデンティティがありました。

でも、そのころはむしろそれを楽しんでいたような気もします。

 

さらに前の記憶に行ってみます。

幼稚園の時は、周囲の女の子と仲良くするのが難しくて、

男の子とよく遊んでいました。

女の子みんながある日から遊んでくれなくなったことを今でも覚えているのです。

 

そういえば、その時はまだ5歳でした。

でも、遊んでもらえないのは1年間も続きました。

周りの大人たちも気にする風はなくて、1年間そのままでした。

あの頃、優しすぎるからいけないんだと祖母に言われた記憶があります。

「きつくなれ。きつい性格になりなさい」

そうとだけ言われました。

 

仲間外れの苦しみに負けるんじゃなくて、

それをはねのけるくらいキツい性格の人になること。

意地悪ばばあのように、強い女になりなさい、と。

 

強い女になるために、小学校に入ったら今度は悪い言葉も覚えました。

喧嘩に負けないために、相手を威嚇することや暴力を覚えました。

そうすると、私に仲間外れにされたという人も増えていきました。

当然、友達はできても長く仲良くはできなくて、また運動が苦手などからかいの対象にもなり、ますます自信を無くしていきました。

 

きつい性格になど、なる必要がなかったのかも知れません。

そのままのあなたではいけませんよ、という強烈なメッセージを受け取ったのかも知れません。

そして、「そのままの私」はしばしば大人たちの笑いものになっていました。

 

ほほえましいという意味の笑いだったのかも知れませんが、

笑われた、否定された、といつも思っていました。

 

そのままの自分以外になろうとしていた当時の私に、

「あなたはあなたのままでいい」と誰か教えてくれていたら、

違う人生になっていたかも知れない。

 

悔しかったら、悲しかったら涙を流す自分でいて良かったのに、

きつくなりすぎたような気もする。