猫にゃーの雑記帳~我そこにとどまるな~

家族関係や心理学を学びながら、うつの経験もこっそり生かしています。30代後半1児の母、眼科医師。

2018年、ありがとうございました。来年は変革の年、その準備期間と捉える。

2018年も残りあと数時間となりました。

ごちゃごちゃした自宅で、いつもと変わらないかのうような大晦日を迎えています。

 

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私はおよそ2年間、迷走していました。

新しく何かを得たい。何か違う道がある。そう思っていました。

裏を返せば、今の生業だけでは決定的な不安があると感じていました。

 

2018年には、新しい人たちとの出会いがあり、

働き方を変えるきっかけを頂き、ここからの生活で何を大事にしていきたいかを見つめなおす時間を得ることができました。

 

今年取り組んできたこと

①新居の準備

来年の3月に転居しますが、その新しい部屋の準備をしました。

これは2年がかりで取り組んできたことでしたが、今年は設計をしっかり決めて内装を一つ一つ決定していきました。

また、それにはお金がかかるので、夫婦ともに収入を増やすことを頑張っていきました。

 

②病院と家庭との往復だけでない世界を持つ

おかげ様で、友人が増えた1年でした。同じ職業の人とばかり話していた頃と比べて世界が広がったことを感じました。

その中で、心から打ち解けられる人とも出会うことができ、貴重な時間を共有することができました。

 

③新しく挑戦したこと

まずは、フォトリーディングを受講しました。なかなかその後の実践が続きませんでしたが、こういう世界もあるのかと感じることができました。

またそれを通じて、無意識の世界と意識の世界との壁が薄くなったのを感じました。

心理学の勉強を始めました。まだ、時間のある時に勉強会に出るくらいなのですが、自分の整え方を少しずつ知り、また人とのかかわり方も変わってきました。

調理家電が増えました。今年増えたのは、ホットクックとホームベーカリー、コーヒーメーカーです。意外にも一番使っているのがコーヒーメーカー。

ホットクックは最初はずいぶんと使いましたが、あんまり家族に評判が良くなく、少し低調。蒸し器としては優秀です。またホームベーカリーで焼いたパンも残念ながら家族にちょっと不評。でもいいんです、懲りずにまた焼きます。

 

④仕事

学位論文を完成させるという目標は全く達成できませんでしたが、去年の今頃取り組んでいた日本語論文は12月に雑誌に載せることができました。

色々なところで仕事をしていくうちに、自分がこの仕事で何をしていきたいかが少しずつ見えてきました。来年からは、子供の都合とのバランスを取りながらフレキシブルに仕事を組んでいきたい。

仕事もポートフォリオのように組むことが可能と思っています。

 

⑤芸術や自然に触れる

自分の感性を保つことの大切さを感じています。

それは、医療職につきながら人間らしくありたいという思いからきています。

その実現のためにも、都会でばかり仕事をせずに郊外に仕事の一部を移すことを検討しています。また、空いた時間を使って少しでもその土地の空気に触れ、色々なところを散歩し、土地の水の音を聴くようになりました。

健康維持にも役立つことと思います。

そして年末には久しぶりにオーケストラの演奏を聴くことができました。芸術に触れる時間を作ることは大変大事なことなので、2019年も自分の時間に組み込んでいきます。

 

2019年には家も変わりますし、子供の環境も変わり、自分の仕事内容も変わります。

良いことですが、それなりのストレスがかかる時期だということなので、

スラックを大事にして病気にならないように努める必要があります。

これからもこちらのブログでよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

久しぶりにクラシックコンサートに行って来ました。年末の第九@上野文化会館 

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写真は本文とは関係ありません

 

プロの生演奏を聴きにいくのは何年ぶりだろう。

学生のことにサントリーホールで何か聴いた気がするけど、それ以来かも知れません。

 

友人がチケットを取ってくれたので、

第九を聴きに行っていました。

第九は市民オーケストラの舞台に立ったことはありますが、客席で聴いたことはありませんでした。

自分が弾いたことのある曲を聴くと、どうしても自分が弾いていたパートを中心に聴いてしまいますが、

もう10年くらい経っているので程よく忘れていて、全体を楽しむこともできました。

オケ自体は音が柔らかくて、あっさり系のベートーベン。

胃もたれしなくてちょうどいいかも。

そして、変なことに気づいてしまいました。

プロオケの人たちは外見的に医者と雰囲気が被る人が多いかも知れない…笑

だんだんとメンバーが知り合いの顔と被ってきて、

指揮者の後ろ姿が〇〇大の教授と似ている、と気づくとそうにしか見えなくなってきて、

ちょっとコミカルな楽しみ方もしてしまいました。

オケを見る楽しみのもう1つに、楽器を眺めるというのもあります。

珍しい楽器があったりするから。

コントラファゴット、久しぶりに見かけたなあ、とか

黒いフルートってオシャレだなあ、とか、

耳以外にも目での楽しみ方もあるものです。

 

やっぱりたまには、コンサートを聴きにいくのは良い。

当然のことですが、それはやっぱりそうなのだ。

音楽は特に時間芸術ですから、2時間なら2時間芸術に触れる時間として

忙しくすごしがちな自分にプレゼントできるというのが一番すばらしいのかも。

 

 

 

私の髪を切るタイミングは私が決めるの。自我の目覚め、9歳の家出。

遠い記憶。

小学校3年生の時、家にいられないと思って出て行ったことがあります。

 

その日は、音楽会の前日でした。

 

学校から帰ると、私が美容院に行くことにいつの間にか決まっていたのです。

どうやら、母と祖母で決めたらしい。

 

私は、次の日が音楽会だからといって髪をわざわざ切るという行為が嫌でした。

 

そして何よりも、髪は自分の一部だというのに

それを切るタイミングを他の人が決めるということが嫌でした。

子供だからって、私には髪を切るかどうかすら決められないのか、と。

私の気持ちは分かって貰えないのか、モノなのか。

 

美容院には行かない、といって、

親が阻止するのも無視して家を出て行きました。

 

びっくりした母か祖母が呼んだのでしょう、

父が仕事を中抜けして私を探しに戻って来ていました。

 

 

私は思った。

私がいなくなったらどうしようと思って仕事を抜けられるのなら、

最初から私を物のように扱わないでほしい、と。

 

この記憶があるので、

自分の子には髪を切りたいというタイミングを尊重しています。

タイミングとどういう髪型になりたいのかを

3歳のころから本人に決めてもらっています。

 

 

そういえば、

私は6歳か7歳くらいの時に心に誓ったことがありました。

それは、

「私は大人になっても、子供の時の気持ちを忘れないようにする」

ということ。

そして、子供の気持ちとは何なのか、というのを当時まとめて本のようにして、

「子育て本」

と称して作ったのでした。

大人から見たら、本つくりごっこで遊んでいるということなのですが、

本人至って本気でした。

 

う~ん、

きっと大人に分かってほしい気持ちが鬱積していた子だったんですね。

当時の「本」があったら

今ならブログにするのになあ。

捨ててしまっただろうな。

 

 

頑張ることと頑張らないこと。アクセルとブレーキの関係。今の速さを見ないで頑張れっていってませんか?

昨日のブログをfacebookに貼ったらね

コメントを頂いたんです。

 

そのコメントを読んでちょっと気がついてしまいました。

 

「頑張ること」が良いことだっていう価値観がありますが、

それを知らずのうちに自分にも周囲にも押しつけていないか、と。

子供の感想文や目標を見ると、「~をがんばります」って書いてあったりします。

どうしてみんな一律に、「がんばります」って書いてあるのでしょう。

 

「頑張ってね」って挨拶代わりに言っている人もいます。

 

よく、うつの人に「頑張って」って言ってはいけない、なんて言いますよね。

「頑張って」っていうと、すでに頑張っている人にとってはプレッシャーにしかならないということなのですが、

じゃあこれはうつでない人には当てはまらないのでしょうか??

 

 

「仕事は頑張らなくてはいけない。」

これって、本当なのかなあ。

頑張っているがために、自分の体力の限界を見失ってしまったり

ブラック企業から逃れるすべを失ったりしている人だって珍しくないですよね。

 

そんなことを考えていて、

ああ、頑張るかどうかっていうのは

アクセルとブレーキの関係なのだと思いました。

 

その人が進んでいる道の形や目標の場所によっても

必要な速度は異なっているのに

目標がある=アクセルを踏まないといけないように解釈して

「頑張る」って使っていないでしょうか。

 

本当はその車は車検が必要かもしれないのに。

本当はその道は、下り坂かもしれないし

ヘアピンカーブが控えているかもしれないのに。

 

目の前にいる人が

とりあえずアクセルを踏んでいないと心配になってはいませんでしょうか。

とりあえず、頑張っていれば安心っていうのは

そうした心理かなあと思うのです。

 

子供には、

頑張ることだけではなくて

アクセルとブレーキがあることと

それを踏み分けることを教えていきたいなあと思った日でした。

 

 

 

抑圧された思いを出してみよう。理想の人間でいようとしなくていい。ちゃんとしていなくていい。

子供の頃から、なぜか生きづらさを抱えていました。

生きているだけで苦しいんだって思うようになったのは10代の頃だったと記憶していました。

 

最近、一体いつから私は子供らしくただ遊んでいたのではなくて

抑圧されたような何等かの思いを抱え始めたのだろうと記憶をたどるようになったのだけど、

古くなればなるほど分からなくなってきます。

 

9歳の頃、とてもしっかりした友人にあこがれました。

身なりも生活もきちんとしていて、ある意味完璧主義だったのだろうけど、

彼女のようになりたいと思っていました。

小学校低学年の時にはすでに、優等生としてのアイデンティティがありました。

でも、そのころはむしろそれを楽しんでいたような気もします。

 

さらに前の記憶に行ってみます。

幼稚園の時は、周囲の女の子と仲良くするのが難しくて、

男の子とよく遊んでいました。

女の子みんながある日から遊んでくれなくなったことを今でも覚えているのです。

 

そういえば、その時はまだ5歳でした。

でも、遊んでもらえないのは1年間も続きました。

周りの大人たちも気にする風はなくて、1年間そのままでした。

あの頃、優しすぎるからいけないんだと祖母に言われた記憶があります。

「きつくなれ。きつい性格になりなさい」

そうとだけ言われました。

 

仲間外れの苦しみに負けるんじゃなくて、

それをはねのけるくらいキツい性格の人になること。

意地悪ばばあのように、強い女になりなさい、と。

 

強い女になるために、小学校に入ったら今度は悪い言葉も覚えました。

喧嘩に負けないために、相手を威嚇することや暴力を覚えました。

そうすると、私に仲間外れにされたという人も増えていきました。

当然、友達はできても長く仲良くはできなくて、また運動が苦手などからかいの対象にもなり、ますます自信を無くしていきました。

 

きつい性格になど、なる必要がなかったのかも知れません。

そのままのあなたではいけませんよ、という強烈なメッセージを受け取ったのかも知れません。

そして、「そのままの私」はしばしば大人たちの笑いものになっていました。

 

ほほえましいという意味の笑いだったのかも知れませんが、

笑われた、否定された、といつも思っていました。

 

そのままの自分以外になろうとしていた当時の私に、

「あなたはあなたのままでいい」と誰か教えてくれていたら、

違う人生になっていたかも知れない。

 

悔しかったら、悲しかったら涙を流す自分でいて良かったのに、

きつくなりすぎたような気もする。

 

 

 

湘南散歩。定番の江の島より西の茅ケ崎あたりは初めて。波の音にも癒される。

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水辺が好きだと話していたら、

湘南に住む友人が招待してくださいました。

定番の清流もいいけれど、波の音もよい。

自然の音にはゆらぎがあるから、その不規則な音と振動とで、やはり私の脳内のゴミやストレスを押し流していく。

 

沖合には烏帽子岩が見えます。

 

そして少し東に目を動かすと、伊豆大島も見えます。

 

夏よりも海の色が深く見えるのと、

人が少ないせいか波も違って見える。

地元の幼稚園生が砂浜で遊んでいる。こんなところで幼少期にのびのび遊べたらいいな。

 

東京はちょっとbusyだけど、敢えてひと時を作りに外に出てみよう。

いや、別にbusyに生きなくてもいいんじゃないか、って波の中では感じる。

布引の滝散策つづき。異人館方面への背山散策路を見つけたが、パンプスではやめた方がよいです。

こんばんは。

前回のつづきで、新神戸駅の北側にある散策路に寄り道をした話です。

布引の滝から降りてくると、北野異人館街へ向かう道がありました。

 

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ここからは森の中と書かれています。

 

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森といっても、このくらいなら大丈夫かなと思ってうっかり入っていくと、

すぐにパンプスのまま来たことを後悔しました。

その時点で本来は引き返すべきですが、

なんとなく判断が遅れました。

 

引き返すのももったいないかなと思うくらい森の中を進んでしまい、

最初にある砂防ダムも超えると

いよいよ山歩きのような足元になってきまして、

ちょうどそのころ、ロープウェイの麓駅へ向かう小道がありました。

 

 

これは、降りるしかないと、

ロープを頼りにちょっとずつ降りていくと…

 

麓駅の裏手に出まして、

運よく扉の鍵は開いていなかったのでなんとか駅の中に入ることができました。

ここで鍵が締まっていたら、また森の中に戻る羽目になったわけですから

ああ危なかったです。

 

もしかしたら、この小道はおりてはいけない分岐なのかも知れません。

 

今思えば、イノシシが出て来なくてよかったなあ。

 

今後は、仕事といえど散歩する可能性がある時には

スニーカーを持参しようと決意した日でした。